ありがとうのてがみ
ひらがな詩人
●内容紹介
天才ひらがな詩人・くりすあきら君──。
知的障害・肢体不自由・脳性麻痺・腎臓障害など多くの障害を抱えたあきら君は、特別な才能をもっている。
NHKハート展に入選した詩「ぼくは親戚の恥なんだって」について石坂浩二さんにだした手紙(抜粋・[ ]は引用者)。
「しんせき[親戚]の人が、
ぼくが、けっこんしき[結婚式]にいったら
こまると、いうたけー、
おかあさんが、なきました。
ぼくのかお[顔]をみながら、なきました。
なんにも、いわんこうに、だまって、なきました。
ぼくは、おかあさんが、
かわいそうなかった[かわいそうだった]。
ぼくはかなしかった。
あきらは、いらんこじゃないと、
おかあさんがいいました。
だから、ぼくが、かいたし[詩]じゃが、
きらいではないが、
大すきなし[詩]じゃないです。」
あきら君が、友だちのかず君が通う学校の校長先生に宛てて書いた手紙(抜粋・[ ]は引用者)。
「○○しょうがっこうの、おやぶん先生、こんにちわ。
ぼくの、こころは、くもりいろです。
おかあさんが、かず君が、みんなといっしょに、たのしいところにいかれんかった、はなしをしてくれました。
かなしかった。こうちょう先生、はね[のけ者]にされたら、かなしんよ。
て[手]も、あしも、かみのけも、みんな、かなしくなります。
かず君がおるけーうれしいというちゃってくれー。
こうちょう先生は、えらいんじゃけん、たすけちゃってくれー。
ぼくからの、おねがいです。
ぼくは、くりすあきらです。22さいです。」
本書は、あきら君の宝石のような、心を打つ手紙や詩を収録。
NHKで紹介された苦労人力士・琴冠佑との魂の交流を綴った手紙も収録されている。
●版元から一言
ひらがな詩人・くりすあきら君
あきら君は、手紙を書く。まいにち書く。
近所のおばちゃん、ガードマンさん、大物俳優、一流コメディアン、先生に、お父さん……。
なかでも、NHKで35分のドキュメンタリー「ありがとうの手紙〜ひらがな詩人と苦労人力士」で放送された、元大相撲力士・琴冠佑との魂の交流は、必読です。
数え切れないほどの人に、せっせと綴られる手紙は、読む人すべてに真っ直ぐな感動と、勇気を与えてくれます。
学校の先生、障害者に関わる方、そして小学生から年配の方まで、あきら君の「手紙」を受け取ってください。
●目次
- ○はじめのことば
- ○ありがとうの言葉……………………琴冠佑関
- ○たった一人の校長先生………………せと先生
- ○ぼくを大切にしてくれたね…………先生
- ○ばか殿様………………………………しむ親分
- ○氷がとけたら春がくるよ……………穐村さん
- ○世話になったのう……………………お医者さん
- ○どうも好きになったみたいです……ガードマンさん
- ○うれしゅうてかないません…………お礼の手紙
- ○ぼくと合体したね……………………へいにい
- ○ながいきをしようのう………………ともだち
- ○たのしくなるけーきてみんさい……デイサービス
- ○元気な息をしていますか……………あきらくん大好き
- ○好きな本をみつけたよ………………おもしろいのう
- ○よろしくたのみます…………………えびね大おやぶん
- ○なかよし家族…………………………ともみさん
- ○寺尾さんはぼくの自慢です…………ひとは作業所
- ○ぼくの家族……………………………平和な家庭です
- ○あとがき
●著者プロフィール
くりす あきら
1975年10月01日生まれ。異常分娩により、知的障害、脳性麻痺による身体障害など数々の障害をもつこととなる。
1982年04月 歩行が困難だったため広島県立障害者リハビリテーションセンター内にある全寮制の肢体不自由児施設・若草園に入園。同年、若草園の敷地内にある広島県立西条養護学校小学部に入学。
1986年03月 介助を必要としながらも歩けるようになったため全寮制の若草園を退園。 1986年04月 広島市立日浦小学校養護学級に転入。
1988年03月 同校を卒業。
1988年04月 広島市立日浦中学校養護学級に入学。
1991年03月 同校を卒業。
1991年04月 広島県立広島養護学校高等部に入学。
1994年03月 同校を卒業。
1994年04月 障害者デイサービスセンター内作業室に通所。
1995年10月 『ぼくはてんさいかのう』を径書房より刊行。
1999年12月 『ありがとうの歌』(たくきよしみつ氏との共著)をポプラ社より刊行。 各地で「あきら展」を開催し、NHKハート展に7回入賞。